DOS & DON'TS




THE CREATORS PROJECT - SPIKE JONZE







Illustration by Gavin McInnes




1922年、ベニート・ムッソリーニはあるとんでもない事実に気が付いた。それは自分がこの宇宙の誰よりも優れてるってことだった。そうと決まれば、もはやラブ&ピースな女々しい奴らが着ているような質素なスーツやネクタイなど着ちゃいられない。奴にはもっとイカす服が必要になった。自分がいかに偉大な存在かってことを世界に向けて誇示できるような服装が。そして奴の目論見はバッチリうまくいった。ヒットラーからジャン=ベデル・ボカッサにいたるまで、即座に誰もが自分の権力の強大さを世界に示すためにスーパーヒーローのコスチュームをミシンで縫い始めるようになった。なぜだかよく分からないが、特に東ヨーロッパとアフリカの奴らはその手のファッションにヤバいほどハマってしまった。まあ、たぶん独裁者はみんなどこの誰よりもずっと、はるかに途方もなく優れた奴らばっかりで、それを愚民どもに分からせてやる必要があったんだろう。とにかく、奴らはみんな例外なく外見だけは立派だった。

ベニート・ムッソリーニ
(イタリア 1922-1943)
ファシスト・ファッションの創始者であるムッソリーニの親衛隊、“黒シャツ党”。その名は第一次世界大戦後のイタリアで奴らが市民を殺しまわっていた時に着ていた服装からきてる。ムッソリーニの政治理念は徹底的にアンチ個人主義を目指すものであり、自分の信奉者たち全員に黒いシャツを着させることで画一性を図った(後にヒットラーが“茶シャツ党”を作ったのは、たぶんこのアイデアを盗んだんだろう。あ、一応念のため言っとくけど、俺はナチの服装に夢中になったことなんかないぜ。GQの編集者のジェームズ・ブラウンはそんな記事を書いたおかげでクビになったからな。俺はクビになんかなりたくない…)。権力を手にするやムッソリーニはファシスト青年隊を結成し、女の子の参加者たちには揃ってベレー帽と白シャツ、黒いスカートを着させた。

フランソワ・“パパ・ドック”・デュヴァリエ
(ハイチ 1957-71)
ヴードゥー教にハマっていたパパ・ドックの服装スタイルは、墓場の守り神であり“性愛の支配者”でもあるゲデの姿に基づいていた。奴の服装のトレードマークは黒と紫のシルクハットと燕尾服で、それに加えてマジック・ミラーのサングラスやドクロ、十字架、マリゴールドの花束など、腐るほどたくさんのアクセサリーを身にまとってた。

奴が背後で操っていた殺人集団のトントンズ・マクーツは、現地の人々の間では本当のゾンビが集まった集団であると噂され、奴らはデニム生地の制服に身を固め、首にはたくさんの赤いネッカチーフを巻いてマジック・ミラーのサングラスを着けて、まるでマルディグラのゲイ版ブラッズ(※)みたいな格好だった。 パパ・ドックは、自分は不死身であり、ハイチを未来永劫永遠に支配すると吹聴し、死後も再び現れてハイチを支配するだろうと誓った。奴は正式なヴードゥー司祭の服装で埋葬され、その墓の周りには今でも常時警備員が置かれてる。

(※ブラッズ:70年代に結成されたロサンゼルス拠点のアフリカ系アメリカ人ギャング・グループ。メンバーは赤いものを身に着けている。)

モブツ・セセ・セコ
(ザイール〜現コンゴ共和国 1964-1996)
モブツは元祖“サプール・ファッション”(※)の独裁者であり、そのパリ仕立ての豹革帽子とフランスのダンディ系ファッション趣味で知られ、その他にも国中の犯罪者を虐殺し、その死体を1974年に行われたアリ=フォアマン戦のためにジャングルに建造したボクシン・リングの下に埋めたことでもよく知られてる。モブツにとってファッションは何よりも重要だった。グッチのスーツやレイバンの限定版サングラスを買いあさるためなら国民が餓死しようとも一切感知しないどころか、男たちには色鮮やかな服を禁じ“アバコスト”(無味乾燥なジャケットにネクタイを着用するスタイル)だけで過ごすように定めた法律まで作った。

(※サプール・ファッション:高級ブランド&派手好みなアフリカ人のファッション)

ジャン=ベデル・ボカッサ
(中央アフリカ共和国 1966-1979)
殺人鬼ボカッサは、1977年に中央アフリカ共和国の皇帝として自ら戴冠するため、2000万ドルの費用をかけて即位式を行った。ダイアモンドをちりばめた王冠を頭に載せ、ケープをひるがえしバカでかいイチモツを揺らしながらゆっくりと振り返ると、奴は家臣たちをアゴで指図しつつ、孔雀をかたどったアホらしいほど豪華な純金製の王座に腰を沈めたのだった。

1979年4月、奴が国中のすべての児童に対して指定したメーカーの服を着るよう定めた法律を作ると、子供達は抗議のデモを行った。暴動を起こした子供達を何百人も虐殺した際、その中から奴は幼い子供たちを数十人選び出しておき、そして彼らを食べた。ウヘェ〜〜〜。さすがに子供たちを食っちまったことは奴のキャリアに響き、やがて奴は権力の座を追われ、人肉食の罪で7年間刑務所に入っていた間、自分はローマ・カトリック教会の13番目の伝道者であり、その豪奢な人肉食ライフスタイルと引き替えに白いローブと銀の十字架を手に入れることが出来たんだと主張していた。

イディ・アミン
(ウガンダ 1971-1979)
ビギーのファッション・センスに最も影響を与えたことでよく知られてる、そのダダ・ノアール仕立てで艶やかに光る勲章だらけの制服は、ウガンダのトップレス美人たちによって1時間ごとにブラシがかけられてた。彼女達は奴のバカでかい家来によって街角から選び出され、奴のあらゆる欲望の世話をするために贅沢の限りをつくした奴の宮殿へと連れて来られていた。自国の50万人の人々を殺しただけでなく、アミンは国民にサンダルを履くことを禁じ、何百人ものサンダル着用者を道路に集めさせると、奴の面前でそのサンダルを食ってみせるか殺人部隊に撃ち殺されるか、そのどちらかを選ばせるという蛮行さえ行った。ああ、奴が今このウィリアムズバーグ(※)にいたら良かったのに…。

(※ウィリアムズバーグ:NYブルックリンの若手アーティストが集まる町)

アウグスト・ピノチェト
(チリ 1973-1990)
自国の国民を拷問にかけて殺すため、胸のトキメクような新たな手段を編み出すことに向けられた情熱。その情熱に匹敵するほどのこだわりをサヴィル・ロー仕立てのスーツにも向けていたピノチェト大統領は、奴のトレードマークとなった白い軍服を着ているときがもっとも心が安らいでいた。奴の相棒であり、フォークランド戦争の際に奴が協力していたマーガレット・サッチャー。彼女は頻繁にロンドンの高級仕立て屋のネクタイやスカーフを奴に贈っていた。今や奴は国際法の網の目から逃れるために世界中の病院に身を隠し、病人用のローブとカジュアルな服装を強いられている。

ロバート・ムガベ
(ジンバブエ 1980-現在)
ほとんどのダンスホール・シンガーたちと同様、ムガベはホモを嫌ってる。奴はヴェルサーチのケバケバしい色のシルク・シャツとパンツ姿で、メディアに向けてこう言う。「奴らは犬や豚よりも最悪だ」。奴自身のヴェルサーチのケバケバしい色のシルク・シャツとパンツ姿、その典型的なゲイ・ファッションが俺たちには見えないとでも思ってんのかな?その短く四角に刈られた口髭から人種政策に基づいた大量虐殺にいたるまで、ムガベはヒットラーにかなりの影響を受けてる。不正な選挙を行い、白人農夫とその妻や子供たちを殺戮する間に奴が自分で身に着けるための服。そのいかにもヨーロッパ風のブ厚くてバカでかいメガネとピンストライプの仕立てスーツを手に入れるがために、ヌビア人の素朴な感性を槍と斧を使い差し出さそうとしてる。

サパルムラ・ニヤゾフ
(トルクメニスタン 1991-現在)
奴の服装センスはたいして面白くはない。だけど、この独裁者は他のみんなにも同じようにつまらない服を着させた(他にも奴は、1年は8ヵ月しかなく、1月は奴の名前を、4月は奴の母親にちなんだ名前で呼ぶように定めた)。

 国民のアイデンティティを高めるための公的なキャンペーンの一環として、すべての児童や学生たちはトルクメニスタンの伝統的な頭飾りを着けることが義務付けられた。女の子たちはミニスカートや、深く切れ目の入ったドレスやパンツを履くことを禁じられたが、その一方、独裁者である本人はカーソン・デイリー(※)のような服を着ることが許されている。

(※カーソン・デイリー:MTVや自らの番組のホストで知られるアメリカの人気タレント)

キム・ジョン・イル
(北朝鮮 1994-現在)
政治だろうがファッションだろうが、とにかく北朝鮮の専制君主でプレイボーイのキム・ジョン・イルが世界中の関心の的だってことには変わりない。あのイカれた小人の東洋人は2001年にこう発言した。「俺は世界中からの批判の的になっている。でもそれってこうとも考えられるなあ。もしみんなが俺のことについてなんやかんや話し合ってるのなら、それこそこの俺が正しい道を進んでるってことを表しているんだ」この皮肉な言葉は、あの挑発的なオスカー・ワイルドの発言から奴が盗んだものだ。

身長わずか155センチのキムは、若い頃は熱心なテニス・プレーヤーだったが、今ではかっこ悪いビール腹の解消のために毎日水泳をやっている。例に漏れず奴もまた厚底靴を履いており、さらに頭にはチリチリの変なパーマをかけて、まるで中年レズビアンの美術品ディーラーみたいな外見を目指してるように見える。

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