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MOVIE REVIEWS![]() 『30デイズ・ナイト』 映画作りで本来的に忘れてはならないのは、あくまでも映画が“大衆娯楽”の1つであるという点だ。スクリーンに広がる非現実的な世界に観客を取り込み、その世界を共有する。それこそが映画人にとっての歓びのハズ。そしてCGは、非現実的な映画の世界を築く上で不可欠な技術として大いに期待された。たしかに『ジュラシック・パーク』でスティーヴン・スピルバーグが披露した、完全CGによる恐竜たちの生々しい躍動感は未だに忘れるコトが出来ない。だがそうした感動も、『ジュラシック・パーク』が最初にしてピークであったと考えるのもあながち間違いではないだろう。1作目とは打って変わって、ただのCGバカ大駄作となった3作目『ジュラシック・パークIII』の特典映像で制作陣が「今回のティラノはスゴいCGを使って生み出したんだ!最高傑作だよ!」的なコメントを笑顔で自信マンマンに寄せていたのを観て、まるであのメリケン野郎の放つ濃厚でクサいスペルマをスクリーン越しに頭上から5リットルほどブッカケられたかのような不快感に襲われ興ざめしたモノだが、ここ最近ではそうしたCG技術も制作者のオナニズムの範疇からようやく脱出。あるいはその技術レベルも鑑賞に堪えうるレベルまで到達し、観客も20年来の呪縛からようやく解き放たれたようだ。『ダークナイト』や『ターミネーター4』といったシリーズモノ大作の最新作が軒並み好成績を収めたのも、この様な流れがあってのモノであろう。 さて本作は、冬のあいだ30日間にわたって日光がまったく照らなくなる街を舞台に、ヴァンパイアという伝統的な怪物が登場するホラーだ。“日光を弱点とするヴァンパイアがそれを克服した時、人はどう対処するのか”というのが主題だ。たとえ過去に幾度となく使い倒されたモノであっても、切り口によっては如何様にも再生できる。そんな好例と言える。登場のヴァンパイアを見ても、従来のホラーとはどこかちがう。口に2本のキバを持つ代わりに、無数のソレが立ち並んでいるのだ。従来でこそ“ヴァンパイアのキバは2本”という方程式が成立していたが、確かに考えてみたらそんなのは甘っちょろい。どうせ吸血するなら、歯など幾らでもあるではないか。このように従来のホラーと一線を画すための仕掛けが設定されており、観る側としては新鮮な恐怖を味わうコトが出来る。マイノリティの分野であるからこそ、メジャー作品がCG技術に溺れる一方でこうした努力を重ねてきた。その姿勢は、メジャー映画がようやくCG技術をコントロール出来るようになった今だからこそむしろ評価できる。 しかしここで、1つ言及せざるを得ない点がある:制作陣はこの無数の歯を以て“サメの歯をヒントにした”と語っているが、日本が誇るホラー漫画家・伊藤潤二はすでにそのアイディアを自身のマンガで年に為し得ているのだ。氏のマンガ『ファッション・モデル』及び他作品に登場する長身のホラーな女“淵さん”の口には、本作よろしく無数の鋭利なキバが所狭しと並んでいる。そして『ファッション・モデル』のラストで淵さんは捕獲した人を首筋からガブリと美味しく喰らっているが、それなどは本作の“人間捕食シーン”と瓜二つだ。通常の人間の顔のカタチからは程遠い淵さんの巨大なそれは、本作に登場のヴァンパイアのそれと似ていなくもない。ちがいと言えば、本作でヴァンパイアは人語から完全に逸脱した独自の言語を操っており、また本編でわずかに口にする彼らの意味深なセリフや前述のキバ、あるいは発達したツメを見る限りでは、人間とはちがった進過程を経た生命体であるコトが分かる。しかし淵さんの場合、本業がれっきとした“ファッションモデル”で、ファッション誌でもちゃんとモデルをこなしているコトからも分かるように、スレスレで常人の範疇にいるコトが分かる。このように淵さんは“日常のわずかなズレのハザマに存在する恐怖”という点で秀逸な存在感を放っているが、本作のヴァンパイアは完全に人とは別の生き物、あるいは完全なる恐怖そのモノの具現化である。しかしどうしてかな。人の目は肥えるモノで、“身近でない恐怖=フィクション”という方程式がアタマの片隅に出来上がってしまった。それこそ、テレビで観る死体が作り物にしか見えないのと同様である。今日とはすでに、我々の日常とまったくリンクしない恐怖が真の恐怖として恐れられる時代ではないのだ。 さあそこでこの、共通項の多い2つの異なる作品を比較した時、ホラーという点でどちらに軍配が上がるかと言ったら、私は迷いなく「淵さん」と答えるだろう。恐怖の象徴とされるキャラ設定が似ている点で両者は等しいが、ココで特筆したいのは、あくまでも淵さんがマンガの中のキャラクターであるという点だ。そしてマンガとは無音である。それでいてホラーとして成立している淵さん。では本作をサイレントで観た時、果たしてそこに恐怖は介在すると言えるだろうか。執拗なまでにデジタル加工され、生理的に不快感を感じさせる金切り声/緊迫したシーンでお決まりの心臓の鼓動/そして「志村、うしろ〜!!」的シーンで突如として鳴り響く恐怖音。それらが消えた時、ソレを恐怖と言えるだろうか。誰が言ったか知らないが、「映画は総合芸術である」というコトバがある。つまり、映画とは幾つもの表現が重なり合うコトで成立する藝出という意味。しかし、果たして数十年昔の映画に音が存在しただろうか。否。皮肉にも、本作の製作、ロバート・G・タパートはこう語っている「我々は新たなノスフェラトゥを創造したかった」と。彼が挙げる『吸血鬼ノスフェラトゥ』はたしかにドラキュラ映画の元祖とも言える作品であるが、それと同時に無声映画の傑作ホラーであったことを我々は忘れてはならない。そう、サイレントでもホラーは成立するのである。それを最近のホラーは、メジャー映画にとってのCG効果よろしく“音”に依存する始末。ママの乳しゃぶりに余念がないというワケだ。この際、映画を総合芸術とする概念は一度焼却すべきではないと思わざるを得ない。 TOMOKAZU KOSUGA 8月22日より公開中 Ⓒ2007 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. ![]()
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